ノーパットの旅 のバックアップソース(No.1)
&size(35){&size(35){''「客観的なジャーナリストを自負する私は、本当にノーパットは世界が指摘するとおりの悪人なのかを確かめようとしてきた。しかし、その答えを得るために、自分が今にも戦禍に呑まれつつある場所を巡って世界を旅することになるとは知る由もなかった。私は彼らの物語を記録するようになり、それは次第に私自身の物語となっていった。これは私たちの旅なのだ」''};};
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               %%%ケイヴァン・バシール%%%
                ノーパット通信隊  

#region(パート1&color(Red){ 「ドーハからの脱出」};)
2041年9月12日
カタール、ドーハ


 一年前、まだ人間がそこに住んでいた頃、私の故郷のドーハでダークネットを閲覧していた時にすべてが始まった。私はジャーナリストとして、武装したノーパットの問題について深く興味を持つようになり、この国を持たない兵士集団との窓口を得る方法を見つけようとしていた。午前3:28になって、匿名の情報源から私にダイレクトメッセージを送信されてきた。その情報源は、自分が世界的な最重要指名手配者であり、ノーパット最大部隊の司令官として知られる「オズ」であると言うのだ。
それ以前にも同様のメッセージを受け取ったことがあったが、それが本物のオズであった試しは一度もなかった。その中には、反ノーパット作戦を展開する政府エージェントや、私が平静を装って隠れているオズだと言いがかりをかける者もいた。だが、今回は違った。テロリストを援助していると主張するカタール警察が私の家に押し入ったところでチャットは終了し、私は国を追われる身となったのだ。
 迫りくる砂嵐を待ち受けるのは、これが人生で唯一の時であったと言えるだろう。
 しかし、40年代に入るまでには、ベネチアと言えば水、と言うのと同じように、ドーハと言えば砂というイメージが出来上がっていた。拡大する砂漠との長年の戦いののち、街を去る資金を持たなかった者たちのみが今でも執拗に豪華なハンドバッグを宣伝し続けている、壮大なLEDの光の下に残ることとなる。30年代のカタールは、石油の値段が急騰したおかげで非常に繁栄していた。この国はエジプトの成功例に続きたいとの願いから、砂漠化の対策に巨額の投資を行っていた。一時は人間が自然を手懐けられたように見えていた。だが、そののちに石油が枯渇する。
 飢饉、問題に対する失策、政府の抗議行動はすべて砂のモンスーンに付随して発生したものだった。その後すぐに軍事警察がそこら中に姿を現すこととなり、カタールを次のノン・パトリエイテドの火種とする可能性のある者すべてを逮捕するようになった。
そして私のブラウザーの閲覧履歴には、マズイ記録が残っていた。
砂の嵐の盾が私を生かしている。自分を追跡する装甲車両から隠れていた私はLED広告の中にある異変に気が付き始めた。数ある画像の中に埋もれていたのは紛れもなく、斜線が描かれた旗、つまりノーパットのエンブレムだった。
 私はその“パンくずの道標”を追って、廃墟となったサッカースタジアムの地下にある墓所に辿り着いた。リラックスした振る舞いが困惑を感じさせる、50代と思しきバミューダ風ショーツを着た軍人が懐中電灯でトンネルの入り口を照らすと、そこはセントリーシステムによって守られていた。男は手を出した。彼は「ピョートル・ガスコヴィスキィだ…」とうなるように言った。そして完璧なアラビア語で、「これは一度切りのことだからな」と言った。
 頭上で風がうなりを上げる中、私は暗闇の中へ消えゆきながらこう思った。「私が再び、ドーハを故郷と呼べる日はやって来るのだろうか?」

そのときは一年もしない内にカタールが破綻国家となり、ドーハの街が砂の中に消えることになるなど知る由もなかったのである。
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#region(パート2&color(Red){ 「奇術」};)
2041年11月1日
インド、アラン


 願い事は慎重に選ぶべきだ…ドーハを脱出してもうすぐ2か月になろうとしている。私はオズの残した“パンくず”を追って、貨物コンテナで造られたインドのセーフハウスへと辿り着いた。その中は武装したノーパットで溢れ返っていて、元情報部員、元医者、ナイトクラブの用心棒や車の整備士などがいた…その全員は、自らの過去を隠そうとしていたが、彼らの話すデマカセ話に耳を傾け、皮肉な笑いを観察しているうちにそれぞれの来歴を伺い知ることができた。
 悪名高いインドのハッカーで、元MARCOS士官であるスペシャリストのナヴィン・ラオは、世界中のノン・パトリエイテドの間で貨物を輸送することが極めて危険な仕事となった30年代に武装タスクフォースが出現し始めたのだと言った。これに対し、各国政府はノーパット全体を厳しく取り締まり、彼らを密輸業者や海賊として扱った。それに対し、ラオは肩をすくめるだけだった。「だから困窮した同胞に食糧を輸送するとき、俺たちは眼帯を着けるんだ…ノーパットを助けられるのは、俺たちノーパット以外にいないだろう?」
 ラオの考えは完全なる真実だったのだろうか?その答えを見つけ出す方法は一つしかなかった。もちろん、このタスクフォースには一つ、重要なものが欠けていた。それは船だ。我々が世界最大の船舶解体場にいる、という事実に手がかりは隠されていた…
強奪が行われようとしていたのだ。
 船舶輸送はシンプルなビジネスだ。船より商品が多ければ、値段が釣り上がる。商品より船が多ければ、値段は下がる。30年代後半、第二次世界恐慌の結果、世界には輸送する物資が不足していた。値段にてこ入れをするため、輸送産業はアランのような船舶解体施設へと姿を変え、使われなくなり風化した艦隊を伸張性の高い鋼鉄へ転換する作業を行った。しかし間もなくして、アランは別の何か…そう、“奇術”で有名な場所となる。貨物船が丸ごと消滅し、数か月後に凄まじい成長を見せるノーパット艦隊の一部として発見されるなど、これは奇術以外のなんでもない。
それは、この街が隠していた最悪の秘密だった。腐敗した商人たちが、闇市場でノーパットに対しスクラップになるはずの船を売却していたのだ。だが、インド軍が止めに入るのは時間の問題だろう。


 あの夜、豪風が吹き荒れる中、まるで全方向から銃声が聞こえてくるようだった。インド軍が我々の追跡を続ける中、ラオはかすり傷を拭い、舵を取って、我々の逃亡ルートを封鎖している黒い鉄の船の残骸周辺を進んで行った。
晴れた日であれば、壮観な眺めとなっていた見事な手際だ。しかし、25フィートの波の中で、上陸した船乗りたちのように揺ら揺らしているボートを操縦し、追跡者たちを撒いてタンカー船の墓場に置き去りにしたのは驚異的だった。
 グリニッジ標準時午前1:32までに奇術は完成し、我々は21番目の緯度線上に消滅する。我々のボロボロで古びたコンテナ船は、非公式に「ザ・カッパーフィールド」号と呼ばれ、ノーパットとしての航海を始めることになった。
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#region(パート3&color(Red){「コヨーテ・ラン」};)
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